スタッフ紹介/山形スポーツ接骨院

あおやぎ接骨院グループ スポーツプラス
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院長紹介

丹野 悠介/Yusuke Tanno

【氏名】
丹野 悠介(たんの ゆうすけ)

【ニックネーム】

【誕生日】

【血液型】

【出身地】

【好きな部位】

【マイブーム】

【柔道整復師になろうとしたきっかけ】
「すべてのアスリートにベストサポートを!」をモットーに、日々励んでいる山形スポーツ接骨院、院長の丹野です。

私は1984年(昭和59年)11月30日 山形市にあるはんこ屋((有)丹埜商事)の次男として生まれました。小さい頃から、兄の所属する剣道のスポーツ少年団へ遊びに行くことが多く、この剣道こそが私のスポーツに携わることになった始まりでした。

幼稚園の頃から竹刀を振り、小学校3年生の時には、小さな大会で優勝したのを覚えています。しかし、当時はサッカーのJリーグが開幕して1、2年の頃でした。友人は皆、野球・サッカー・バスケットボールなど人気のスポーツに集まっていました。私も当時人気だった漫画「スラムダンク」(バスケットボール漫画)の影響と仲の良い友人の影響を受け、剣道を辞め、小学校5年生の時にバスケットボールを始めました。

バスケットボールをはじめて約1年が経った時、手の指の捻挫(突き指)をしました。それほどひどくはなかったのですが、試合が近いこともあり、母親に連れられて近所の接骨院に行きました。そこで診て頂いた接骨院の先生の印象がとても強く、傷めた指をさすってくれたあの時の感覚は今でも忘れません。そしてこの時からすでに「接骨院の先生になりたいなぁ」と感じていました。

そこから中学校3年生の最後の大会、中総体までバスケットボールに勤しんでいました。中学校最後の大会が終わり、3年生は皆受験モードに突入していく中、私はひとりラグビー部に転部しました。

山形県内唯一のラグビー部がある中学校ということもあり、更には当時の部長や顧問の先生の影響もあり、「勉強したくないし、やってみようかなぁ」と軽い気持ちで始めました。

ここが人生のターニングポイント。

中学校卒業までの数か月間、軽い気持ちで始めたラグビーは、その後の進路を変えたばかりでなく、今の私をつくりあげてきたものにまで変えてくれました。

山形市のスポーツ整骨院その後、高校ではラグビー部に所属し、3年間花園(全国大会)へ出場しました。高校3年生の時の進路も、もっとラグビーを高いレベルでしたいという想いから、当時東北地区ではNo.1だった大学への進学を決めました。大学4年間もラグビーに励んでいました。

そんな中、大学4年生最後の夏合宿で大きな怪我をしてしまいました。病院での診断は、「左膝前十時靭帯損傷」

1週間後にせまった最後の大会のメンバーからも外され、現役生活でのラグビーは終わりました。その時支えてくれた方々、お世話になった方々の一人が、当時大学ラグビー部のトレーナーを務めていた、接骨院の先生でした。

病院への同行やリハビリ・治療を熱心にしていただきました。また、病院でのリハビリの先生は、当時サッカーのプロチームのトレーナーもしていた方で、影響を強く受けた先生の一人です。

更に、接骨院の先生からは「一緒にこの仕事をしてみないか?」の一言で今の仕事に就くことができました。そこから宮城県で、約10年間柔道整復師としての修行をしてきました。

この10年間の中でもう一つ、大きな出会いがありました。

プロトレーナーでもあり、宮城県でスポーツNo.1の接骨院でもある先生からのお誘い。

「一緒に東北No.1を目指そう!」

この一言と、熱い想いで一緒に仕事をすることになりました。

そこでは、ラグビーをはじめ、陸上競技・野球・サッカー・バレーボール・バスケットボール・ハンドボール・スキーなどなど、様々なスポーツ現場での活動を経験させて頂きました。

そして、このスポーツ現場での活動をもっと広く知ってもらいたい、もっと皆に喜んでもらいたいという想いと、ご縁もあり、2016年9月に、地元山形に開院しました。

これからも、スポーツにこだわり続け、地元山形の皆様に喜んで頂けるよう、日々全力前進、突き進んでいきます!